
お金の勉強をすると必ずあるのが副業などビジネス的な話題もたくさん出てきますね
今になって副業とかビジネスなんてと私も思っていましたが、別段そんなことを考える必要もないようです
本業より収入が上回ることはなかなか難しいこともあるとは思いますし、絶賛私もこうやってブログ書いてはいますが、先のことなんてわかりません
ですが、会社でこのまま雇用されているだけで、何にも手を打たずに退職した瞬間に自分が何ができるか、資産はあるのか、考えるよりは今のうちにしておいた方がスキルも知識も資産もまだ対処しようがあります
そんな中でなぜこう言ったことをしようと思ったかの過程を書いていきたいと思います
お品書きはこんな感じです
- そもそも副業とは何か?
- 勉強しようと決意した理由
- 大きく捉えすぎずに
こんな感じで以下に書いていきます。よろしくお願いします
そもそも副業とは?

見ればわかるのですが、本業とは別にやる仕事が副業です。読んで字の如くです
要は副業して、収入と自分たちの生活力や資産形成の底上げをしたり、最近流行りの早期退職『FIRE』が有名ですが、大体雇用されている立場の方が副業をやるというのがほとんどだと思います
給与所得と副業で得た事業所得でうまいこといけばお金は当然増えます
今副業は解禁されている会社も多いようで、盛んに副業ネタは横行しているように感じます。
が、なかなか本業以外に手を出すとか、副業は本業を疎かにするなどの理由から『悪』のイメージも横行しているのもあります
私の職場はまさに典型的なものです。副業=解雇くらいのものですが、そもそも日本国憲法の22条の1項では
『何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転および職業選択の自由を有する』
とあります
ですので、終業後や休日の時間に本業以外で仕事をしても国民の自由であるとのことです
また副業禁止は労働法でも明確に謳われておらず『公務員』のみ公務員法で禁止と謳われておりますので、結果的に『自由にできる』ということになります。
ただやはり上記のように本業に師匠が出るとか、企業秘密の漏洩とか、信頼関係の破綻だとか、そういうことで『規制』することはあるようです。会社でバレると色々面倒なこともあるようです
労働時間管理の観点でも会社や企業としても『やめてくれや』という感じで、暗黙的に副業はなかなか厳しい状況にあるのも事実なようです
税金などの観点も確定申告などやったこともないようなことをしたり、そもそもそんな時間が作れないとか、環境がない、パートナーが嫌がるとかの理由からも殊更に副業しにくいような状況であるのは間違いないようです
しかしながら、その中でも副業を解禁し推進している会社もあるようで、理由は
- 収入増加
- スキルアップ
- QOLの向上(クオリティ・オブ・ライフ)
- 先行きのわからない将来のリスクヘッジにもなる
などのことから推進もしており特に個人スキルの向上はそのまま会社の利益や事業拡大などにもつながるとのことです
まさに雇用されて働きながらにして第2の人生を形成していくことが可能、ということになります
しかし、副業などを勉強しようとする、初めてみることは『個人の自由』であり、まさにここが鬼門でもあります
やるやらないが一番重要であるのは紛れもない事実とも言えます
勉強しようと決意した理由

そんな中で私が勉強しようとしたのはまさに『収入増加』からの『投資』にお金をかけたいというところからでした。
資産や貯金もかなりあるわけでもないし、これといった社会で役立つようなスキルもない、退職した諸先輩方のその後、会社のために一花咲かせろよ、とか、そもそも社会に何か還元できるようなことをしているのか?とふと思った時
『あれ?将来ぼろぼろやん...』
という結論に至りました。
結局、その職場で神だ仏だと崇められようと、他だと何にもできなかったりします
家庭のために生きているのに、何で会社と死ななくてはならないのか、吸い取られるだけ吸い取って、退職したらあとお好きにどうぞ、というのが怖くなってきまして、そもそもお金を知らんな…学がないので学ぶことに決意しました
会社みんなのために、ではなくて『個人が』個人のため、家庭のために家庭のためのお金と、時間と、サービスと、愛も真心も、全てはそこに注入しないとダメだと感じたわけです
その途端仕事がその人の全てな人が『かわいそう』だという感情になりました
家族を捨てろ、仕事が全てや!
と言われたこともありましたが、それは『何にも考えがない』ことと同義であると、理解しました。
それが全てな人はそれでいいのですが、私はそうではないのです。
会社に捧げるために生まれてきたのではなくて、何か、たとえば子孫を残すとか、技術や、このつまらないブログでも、何かを伝え残すことが重要だと、そう思ったわけです。
飼われて、搾取される側ではなく
『売って、提供、与える側』
になることが人間としての成長や人間のコミュニケーションでも非常に重要なものだと思ったわけです
めちゃくちゃ壮大な感じしますが、要は
『現状はヤベェ』
と思ったわけです
なので色々勉強し始めたところ、自分の愚かさにまず気づきまして、そこから、色々と知識を向上させているところであります。
おもしろいのが、お金などの勉強をすると数珠繋ぎにいろんなスキルや、環境を知ることができるのと、例えばSNSなど適当に使っていたものが、非常に有効活用できるものであったり、居酒屋にあんまり行かなくなったり、むしろ家計簿アプリ見て一喜一憂する方が日課になる、料理をしたり、隙間時間をとにかく活用しようと心血注いだり…など生活も変化し、無駄を省くような、いろんなことを学ぶことや、実践することが日課となるように『変態』しました
一番は
『時間を無駄にしたくない』
というのが特にでかいかもしれません。
収入はなくてもそうしようと色々行動していたら、何かしら変わることは私が実証しています。お金は溜まってないけど
こう言った面でも良い刺激にもなると思料しております
大きく捉えすぎずに

私がいうのも何ですが、やっぱりこれもあります。
あんまり大きく捉えてしまうと何でもやりにくくなります。そのまま老けていくのはもったいないので、とりあえず足湯感覚でつま先をつけてみる感じでやって見るといいかもしれません
情報を見る、例えばyoutubeではいわゆる『インフルエンサー』やどっかの社長やらが情報発信して『ブログではこうすべき』とか『こんな〇〇はやめとけ』とか『おすすめしない理由』とか応援してんだかしてないんだかわからんこともあれば、言ってることがおかしいのもたくさんありますし、矛盾してるのもあります。そりゃそうです。自分以外は他人なんだから、別に誰がどうなろうと知ったことではないのですからそうなります。放送形式というのはそういう特性があります。
そんなことをいちいち捉えて考え込んでも仕方ないのでとりあえず
『できる範囲で』『地道に小さく』
やることです。私なんてまさに今こうしてやっています。
やらずに何にできないのが一番キツイのです。人間社会としても。無価値な人間として捉えかねられない『捕虜』とおなじです。価値は少しでも自分で何とか向上させていく必要があります。
まさに私もその階段を今は徒歩で歩いて行っています。超遅いですが
頑張らずに、ながーくやることが私はいいかなと思います。頑張らないようにやることを目標にちまちまやっています。いきなりとんでもないことやる必要はありません。というか無理!
終わりに

こんな感じでつらつらと記事にしてみましたが、結論『やってみてから判断しましょう』という感じです
私がいうのも何ですがという感じですが
『棚にあげる』くらいの図太さや、根拠なき自信も少しはないと何にもできません。完璧追求してからやるともう死んでいる可能性だってあります。
準備もしすぎたら出発できずに、荷物が多すぎてまた減らすとかの二度手間になります。必要なものは動きながら足していけばいい。最初から最初からインフルエンサーのようになれと言われてもその立場じゃないからできるはずないのです
生きてるうちに少しでも、という思いです。巨万の富ではなくて、幸せをちょろっとお裾わけできるくらいの豊かさが欲しい、そんな感じでいいと思います。
少しでも誰かの役に立てればと思います。また必要とする誰かに必要とされることが幸いです
ご拝読ありがとうございました。
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