
結論『結果』が重要です。正解とは大体皆さんよく耳にしたことも話したこともあると思いますが例えば『あの人がこう言っていたのですが、ほんとでしょうか?』とか『時間は何時間すれば効果があるのでしょうか?』とか『1週間に何回やればいいのでしょうか?』とか『そもそもそうなるにはどうやってどうしたらいいのでしょうか?何にもわかりませんので全て教えてください』とか
意外とこういうのは多いと思います。でもこの発言だけでその人の人となりというか、底が知れたりします。どれだけいい顔してて、いい声してて、生まれも育ちがよくても、一回でも出れば『結果』として出ます。
ちと、考察してみました
結果が重要なのは?

結果が重要なのは、要するにそれは覆しようのない『結果』を『発した』からです。自分の全てがそう出て表現したわけですから、結果なわけです。あとで何を挽回してもそれは結果ですから、どうにもなりません。
そのぐらいシビアなものですから、でたものがまずければ、自分で修正や分析をして実行していかねばなりません。トライ&エラーとはこのことです。
結果があるからこのように過程が生まれて、実行して、成果をあげて、またこの繰り返しをして、学習することができるのです
正解とか答えとは?
正解を求めるとは問いに対する答えです。だから最初から決まっていますので、答えとしてあるわけです。なので自分で時間がどれだけ掛かろうが自分で調べて探すことは可能です。
クイズを見てみましょう。最近やたらクイズ番組が多いような感じもしますが、これも必ず問いがあって決まった答えがあります。だから答えられなくても最終的に答えが出ます。決まっているからです。
これは何にでも同じです。番組だろうが、何だろうが、本質が同じなので同じことです。覆そうとしても無理です。そういうものですから。
なのでこれはどういうことかというと答えようのないことを聞いたりしても自分で得たものではない、ということです。
決まっている情報、例えば『WEBサイトの開設方法は?』これは今の時代でしたら、何らかの手段で調べることで自分で得られます。デマみたいなものもありますが、それでも高い確度で情報は得られます
こういうのが正解・答えであって、誰でも知れるようなことです。これをわざわざ聞く必要もないわけです
しかし、やる本人が考察や、やる必要のあることを他人に決定してもらおうというのがあります
『時間は何時間したらいいですか』『何日したら効果出ますか』『何年やれば収益になりますか』『どうすれば金持ちになれますか』『どうすればあなたになれますか』『とにかく何からしたらいいですか』とか自分で判断するしかないようなことを相手に聞くわけですが、他人は自分ではないので知りようがないわけです。
もし答えたとしても他人は他人で自分はその他人ではないので全て参考になることはないのです。
あなたは私じゃないのでわかりません、ということになります
要するに『他人は他人』

自分でしかわからないことや、調べてわかること、自分で分かろうと理解しようとすること『トライ&エラー』することが重要だということです。そうしないとどうすればどうなるか?ということを自分で得られなくなる。
でも、某動画アプリを見て色々みていても『失敗してもいい』と言いつつ『失敗しない方法』という矛盾点がかなり多くありますが、失敗しないとそれに対してどう対処していいかが生まれないので、要するに同じことやってるというかそもそもそれなら、失敗することが最初からなくて、できるんだったらする必要がないということです。
要するに『他人は他人』です。感情的になってもその人はあなたや私をみたこともないので、知ったこっちゃないわけです。
気になっても、笑いたければ笑わせてやっとけばいいのです。
失敗を恐れるな、ではなくて、失敗しないと学習にならない、得ることや、何かの判断にならない、ということです
そして、間違えていたら、また自分で調べて研究して試せばいいのです。学習や社会に色々なことはこの繰り返しです。
ですので『頭の良い悪い』とか『〇〇の能力』とか『センス』とか天才の話はしても仕方ないのどうでもいいですが、天才除くそれ以外の方(私含む)は実は↑こんなものどうでもいいのです
例えばセンスだけでいけるなら技術なんて必要ないわけです。
そんなないものを考えるより、何かをして失敗してまた取り組む方がよっぽどいいかと思います
私も失敗しまくりです。今の文章見たらわかるでしょう。

ちなみに…

ちなみに、答えが全てに対してあり、それで全ての世界ならどうなるか?
『全員同じで変化がない世界』
ということです。要するに死んでるのと同じです。死ぬまでは行かなくても、考える必要がないので、機械的に生きればいいだけです。それが楽だという方もいるかもしれませんが。
不老不死と同じとも言えます。老けずに歳も取らず、食べても食べなくても、何をされても生きているのは実はもう死んでいるわけです。
と、私は思います…
今回の記事はこれで以上です
ご拝読、ありがとうございました
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