【武術・兵法】武術の継承と存亡とお願いと

武術・兵法関連

こんにちは、軍曹です

めぐるめぐるよ時代はめぐる〜🎵とは言いますが、本当にそうです。時代も歴史も時間も日常も含め、全ては『周る』のです。

お釈迦さまが遺した言葉に【諸法無常】と言うことがあります

そうです、このようは【常に変化】します。つまり、あるものは、いつか無くなるのです

一番わかりやすいのが…あなたも私もどうなるかわかるでしょ?そう生きてるものは【絶対死に】ますし、必ず枯れていきます

死なない、死にたくないと思っても、いずれ死にます。だから生きているのです。

受け入れる境地が必要です。悲しいですか?でも実は素敵なことですけどね。

でも、生き続ける方法があります。それは『伝承』、マインドの継承です。

遺して伝えることで、死生を超えて、繋がるのです

どうゆうことか?書いて参りましょう。

武術の継承

今に伝わる武術・兵法は紛れもなく、あらゆる経験の積み重ねであり、今茲に伝わっているのは、まさに先祖代々の血と涙の結晶です。素晴らしいものです。

武術に限らず、他の伝統芸能云々だって同じなのです。

では、継承とはどのようなものなのか?

それは、マインドの継承です。体現で伝え、それが体現できることです。つまり、言葉や字面などではなく、体現してそれがいつでも表現できるかどうか。心意気を表せられるか、です。

技術だけ出来たとしても、実はそれは真の継承ではないのです。それのいい例が、免許皆伝ってありますが、もっといえば、自動車運転免許などと同じです。ある程度できてるけど、全然ダメ、と言うことです。

免許持ってる人が、事故も何も起こしませんか?そんなことないでしょ?

そんなマインドとか言われても、となりますが、結局はこれです

『悟りなさい』

ということです。仏陀の言葉でもあります。もっといえば、自問自答し、実践を積み重ねていきなさい、と言うこと

まさに『功夫』を『積む』のです

はい、OKです、あんた今日から伝承者ね!とは誰も言いません。他人も師匠も己自身も。自己完結は思考停止、極めて危険です。

志、その魂がまさにその道の者を伝承者と成長させ、やがて、その道のマインドを継承していくのです

武術家の証明

自称武術家となると、途端に胡散臭いですが、武術家である証明はきちんと必要です

それは契約です。契約となれば、契約書があります。あるいは別のもの。先祖代々の〇〇、とか

なくとも、その師匠に確認が取れる、など、なんらかの契約もしくは認可しましたよ、という証明ができることが非常に大切です

ということもありますが、そもそも体現できることが大前提です。

その証明は、非常に簡単です。

『やってください』と言ってすぐに出るかどうかです。なんだって同じですが、武術も同じです。約束稽古のようなものではなく、棒立ちで突っ立ってる相手に対して何ができるか、です

でないなら、表現できているとは言い難いのです。歌手が、一曲歌ってよ?と言われて、どう歌えばいいのかわかりません、ではお話にならないのです。それと同じです

なんだよ、そんなんでいいの?と思うでしょ?

全然できないんですよ。簡単そうに見えるものほど、全然簡単じゃないのです。

え?できそう?じゃあ今すぐ『やってみてください』

すぐ出ましたか?出てこないなら、その道の継承はまだまだということです。私とともに練習しましょう。

武術の現状

武術はもはや、消滅の一途であります。それは、きちんとした体系で継承されていないのと、そもそも体現できない、あとは、そもそも武術よりスポーツ文化が圧倒的人気です。

いろんな観点からの武術、というのがありますが、例えば格闘技や、カンフー映画、ゲームなどでありますが、そう取り上げるのは全然いいのですが、武術の本質とは全然違います

あちょーー!とか言わないですし、ラウンド制なんかないし、グローブなどもつけませんし、派手さは全くありません

ものすんごいブレブレで伝わってますため、もはや、武術がわかる人はほぼいないと拝されます

武術武道だといって動画などでやっている人はいるのですが、こうきたらこう、とか、相手に前提を付与するもの、あるいは異種格闘、殴り合いなど、これを武術と言ってしまうと、またずれ込みます

はっきり言いますと、武術は格闘技ではありません。格闘技フィールドに言ってしまうと、そりゃやられます。それなら最初から格闘技やった方がいいです。

はたまた気で飛ばすとか遠隔気功でああだのこうだの…もありますが、見てて寒気がします

武術は人殺しの術であり、兵法であり、コミュニケーションです。エンターテイメントではありません。武術との違いもまた書きたいと思います

要は、きちんと継承できた人、その証明がある者が、ほぼいない、ということです。日本武術はもう消滅寸前、中国武術も同様です。

日本武術の方からお聴きしてますので、事実なのです。

そうはいかんぜよ

ということで、こうやって、武術はどうですか?と世に投げかけておるわけです

私の師匠は武術ではなく『武楽』という概念を提唱しています。殺す術を殺す術としてではなく、楽しむ術として、やりましょう、と。音楽があるんだから、武だって楽しめるわけです。

それぞれの志はあるでしょうが、ともに練拳できれば、それはもう仲間でしょう。みんな一緒に練習します。講義形式はありません。教学、といい、教える人も教わる人も同じく練習します

ということで、さらに武術・兵法について記述し、未来の武楽実践の士に、ひたすら問いかけるのであります

最後に

一人より二人、二人より三人、であり、武術に限らず、皆で『楽しく』行うことは、実は極意の一つです。上達に非常に大きく関わります。

役に立たないからやらない、とは言わずに、役にたたないことを命を懸けて実践することに人生を楽しく面白く生き抜く秘訣があります

のんびりとやりましょう。お問合せなど、いつでもください

それでは、また!

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました