【道楽】の噺

武志道楽のよもやま噺
道楽の噺

このブログの名を関してもいる、道楽って何よ?となりますが、道楽のイメージってなんですかね?

おじいさんやおばあさんに、それ何してんの?と聞くと『道楽だよ』なんてシーンは、浮かびませんかね?世代年代はあるかもしれませんが、私世代より上の方は、道楽まっしぐらの方もいれば、そんなもんに耽ってる暇なんてあるかい、と言う方もいるでしょう

今回のテーマの噺は要は何を言いたいかというと・・・

『超楽しむこと』です

は?

この内容から期待できるであろうことは

  • 何にもすることがなくて、なんとなく生きてる人
  • 気を使いすぎてしんどい人
  • 人やもののせいにしがちな人
  • やりたいことがあるけど、実践にいけない人
  • 現状から抜け出そうともがく人

・・・etc

ですかね。

なるかどうかはわかりません。自覚あるのみです。

と言うことで、なれない文章を書いていきます、よろピコ

今の世を取り巻く現状というか環境

ズームをいかに使うか?

道楽って聴けば、今はどうかわかりません・・・ってか聴くこともあんまりなくなったような気がします。

それって何にも楽しいことがないってことの証左なのかもしれません。普段感じてることですが、結構時間や金や何かに追われて、イライラしまくってる人が多いような気もします

事件事故の内容も、なんだかむかついたとか、自分が不幸すぎて幸せそうな人が腹がたつ、とかの八つ当たりで刺されるなんてたまったもんではないです

薬に、強盗、SNSでの誹謗中傷、戦争なんていまだにありますし。兄弟喧嘩みたいな戦争。あと不倫とか色々。

こんなおもろいことがありましたー!!とかのニュースや吉報って本当に少ないですね。あるはずですが出してもさして視聴率もとれないとかなんとか。

何がそうさせてるのか?

まぁキリがありませんので、ここらでスパッと・・・

『余裕』がない。これだけです。

とにかく余裕がない。いや、ほんとに

私の職場でもそうですが、だいぶ先のことを焦ってやってる人もいます。余裕がないのが1年2年先の未来までいってるようです。

(先輩)『今ってさ、2026年だっけ?あっ7だっけ?あれ?』

(私) 『だいぶ未来いってますよ』

しっかりせぇよおいッ!!まじで!!

遠隔で人を⚪︎せる時代、憂いて『今自分』がない時代

現代は、特に5次元をも取り込み、とんでもない速度で、目まぐるしく情報が飛び交い、物理的接触もなく人の生き死に、人生までも操作できるような時代です。

マイナンバーなんてもので全て管理されるような時代でもあります。他国だともうそれはずっと前からあったとかって話ですが・・・囚人や軍人の新兵教育とそんな変わらんように思いますねぇ

そのくらい、処理できない速度で、感情や思考を押しつぶし、何かを溜めまくって爆発的に個人が大事件や事件を度々起こすのも、この時代の特徴ではなかろうか、と

要は、機械的ってことです。そもそもAIや、ロボットもすでに世に放たれ、仕事に関与しているわけです。どんな情弱と呼ばれる人でも、なんとなくわかってしまうほどのレベルです

便利な反面、コミュニケーションがなされず、時代に対応しようと機械的なるものの、追いつこうとして、時代と人の学習能力にどんどん差が出始め、さらに負の連鎖連環となっとるように思えます

AIが人を呑み込み、台頭し始める、なんてのもなんだかわかるような気もします

しかし、それらはひとえに『余裕』がない、と。もとい『時間』がないとも言えます。

未来が怖い?そんなもん、知るかい。

余裕しゃくしゃくに、やりたいことをやるだけよ。あるかどうかのことを憂う暇なんてなくて『今、どうなんですか?』ということです。それって言い換えたら余裕ってことになります

まぁ、とりあえず呑めよ

あと、余裕がないと、何やっても何にも学びません。学習とかって、頭だけでやってんじゃなくて、まず心で感じるところがスタートなのです。発心とか欲ですね。一言で『心意気』です。私がやってる武術の『心意』とおんなじです。武術において極めて大切な秘訣です。まぁまぁこの辺は後々語ります。

あと、時間がないってのは言い訳です。時間は、自分で決めないと流れ、変化し続けます。これも余裕に直結します。

やりたいこと・やってることってありますか?

どうなんだ!?言ってみろ!

って言われてパッと『これです!』と言える人のまぁ少ないこと。

なんでもいいのに。もうちょいいうと『好きにやっていいよ』と言われても、何にもしない人とかね

とにかく忙しくて、それどころじゃない人には、聴くこともありません。心亡くすと書いて忙しい、ですから。忙しくても、それがめちゃめちゃ楽しかったらいいですが。商売人ならこうゆう人が多いように思います。

ほんと、なんでもいいです

子どもの頃、なんだかわからないけど、すんごい楽しくて、訳もわからんような遊び思いついてはやってませんでしたか?

私は柔らかいボールを当てこすって、ひたすら逃げまくるとか、巨大な練り消しを延々こねくり回したり、牛乳瓶の蓋が紙でできていたので、それに穴開けて、紐通してギュンギュン回したりしてました。誰にも教わってないのに、色々やってたもんですよ

懐かしいなぁと、ノスタルジーに浸り、楽しかったなぁとつい懐古したりしませんか?それがむっちゃ大切なんですよ

遊び、学び、楽しみ、仮説し、実践して、壁にあたっても、そのサイクルが楽しくて没頭する

その欲でいっぱいにするわけですね

悩み、苦しみ、迷いは、実は超簡単に突破できちゃうわけです

それが『道楽』

ということで、このブログの名前にも冠してみた訳です

金や、色欲や、喧嘩や争い云々、それらをぶっ飛ばすことができるわけですね

じゃあそんなに簡単なのに、なんでなかなかできないのか?

実践しないから、だけです。これもまた後々・・・

楽しい、面白い、は幸せ

あぁ、楽しい、とか面白いなぁ、ってことっていつの間にか時間もすぎてるし、なんなら身体や後のことや何もかもが吹っ飛んで、飯を食うことも忘れて、童心の如く、遊びます

おっさんだろうと、子どもだろうと、爺様、婆様だろうと関係ないのです。

まさにそれが大切なことで、誰しもそれは実は自覚あるはずなのです

が、おっさん、オバはんになっていくにつれて、なかなかそんなことができなくなるわけです

ライフイベントに、仕事、その仕事の付き合いから、なんやかんやと増えていく。

『遊んでるだけでいいならどんなに楽やろか』そんな声もよく聞こえます。

それって、何にも楽しみがないわけです。羨ましいって怨めしい、憎たらしい、ってことです

そう言ってると、どんどん卑屈にもなりますな。人のこととやかく言って話の肥やしにするつまんない人になっていってるわけです。

無自覚って怖いもんですねぇ

 

何度も言うように、なんでもいいんですが、たとえば酒と肴が楽しみで、それさえあれば、とにかく幸せ、とか。

某テレビ番組で、年老いた人がいいます『今、こうやって飯食うてんのが一番幸せ』とかほんと素晴らしいです

師匠はじめ、仲間達とこんなこともやってます。楽しいですよ

そんなもんで、と思うかもしれませんが、この唯一無二を悟るのって超大事です

でもそれがなかなかできなかったりするわけですね。だから迷うし、悩み、苦しむわけです

で、私のやってる武術というのは、まさに道楽です。楽しくて遊んでる、という感覚ですかね。人を⚪︎す、とかどつき倒す、ってのが武術自体の性質ではありますが、本質とは言えず。活殺自在ということがありますが、それはとりあえずここでは、置いときます

要は、それはそれであって、それではなく、それが司るわけではない、ということです

人によっては、いろんな道楽があります。なんだっていい。楽しみ面白みってのがとても大事です

その道に入ることです。これが入道、悟りの道なわけであります。

改めて問う

『今、楽しい?』と聞かれてすぐに『楽しい!』と即答できますか?

できないなら、まだまだ迷いや悩みの輪廻にいるってことです。ともすれば、唯一無二ってことで、それは言い換えると、己はこれだ!これやってます!と言えるかってことです

仕事ちゃいますよ?己が楽しむその道のことですからね

ギタリストってのは、ギター手にしたその時が頂点

これは甲本ヒロトが言ってるんです

あとは維持するか、落ちるかしかねぇんだ、と続きます

これって本当にすごいことなんですよ。要は、それをやりたいという欲でいっぱいになったら、それをやることだ、実践あるのみ、ってことです

維持する、ってのは楽しいとならないと、続きません

落ちる、となるのは、合わない、諦めるってことですね。因みに諦めるってダメなこと、ではないんですよ実は。これはおいおいかきます

壁にぶち当たるっていうでしょう?これって楽しくないと、超えられんのです。苦心し、悩ましいことすら楽しい。これって最高でしょ

だから頂点というわけで

甲本ヒロトはまた言います

『俺たちは最高なんだよ。元々最高なんだから』

そうです。生まれた時点で、実はもはや最高なんです

道楽のススメ

聴く、というのはまさに心の雄叫び、心の囁きを聴きます

相手でもあり、その場や雰囲気、もちろん己の心も聴く、ということです

まさにこんな感じで聴くことが大切

あぁ、これをやりたいなぁ、ということをほっとかず、それ、やってみましょう。

ダメなら、辞めりゃいいんだから。どんな偉人だってなんかしら辞めてること多いっすよ

いつまでも、あれやりたいこれやりたい、で煩悩ばっかりだと、いつまでも突破できません

決めちまえ!それできるのって、己だけです。唯一無二、天上天下唯我独尊、です

今風に言うと『究極自己肯定』です。己を信じられず、克己できないのであれば

もはや『あんた、誰?』

ってことになります

死ぬまでに、って言いますが、死ぬのっていつかわからないですからね?今かもしれないし、その数時間後かも、明日かも。

命短し恋せよ乙女ならぬ、命短し楽しめ〇〇、ですかね

光陰矢の如し、とかもいいますが、、要はあっという間に死ぬんだから、夜も徹して楽しむくらいのものがないと、生きてる時間なんて光のごとくすぎていくんだぞってことです

必ず死ぬから、生きるわけです

死生観ということにもなりますが、要はそれをぶっ飛ばし、忘れるくらいの何か面白いことをやる、やんないで終わると、後悔しかない。あぁマジで楽しいわぁ、と感じながら素敵に死ぬ、これ大切で、さらにいうと、楽しくて幸せにさっさと気づいて、楽しみつくして、ある日来たる死をもかえ、安らかに天寿を全うする、ということが非常に良い。死生観については、これもまた後日

仕事でどやされたり、ネチネチ言われたり、カミさんに(旦那も同様に)どつかれたり、気を遣うために生まれたわけじゃないんですよ

めっちゃおもろいゲームしにこの世に来た、という感じなんです

やる!となったら即断し、その門、道を長くじっくり時間をかけて、楽しむ。熟成された酒や肴、絵画や、骨董品みたいな感じですかね

ちなみにこのように長くじっくりと積み重ねては功を積むことを、中国武術だと『功夫(ゴンブー、カンフー)』っていいます。日本だと『工夫』です

楽しくもないのに、そんなことできないでしょ。だから己の心意気、心の雄叫びとかってのはものすごく大切で、原動力なんですよ

なんでもいいです。って言っても何も思いつかないなら、また後日それについても書きましょうかね

何か感じてくれたら、ありがたい

ここまで観てくれてありがとうございます。

何かあればお問い合わせなど、どしどしくださいませ。その場でなんとなく感じるだけでも良いです

また、なにとぞ乱文ご容赦ください、ここからまたよくなっていく予定。

まぁ楽しくやってます。

それではまた〜

 

 

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