こんにちは、軍曹です
武術について少しずつ述べていますが、武術との他との違いを述べておきます
この違いがはっきりとせぬゆえに、多くの実践者が、破滅もしくは苦悩の海に取り残されています。
どうしても同じように見えてしまうのは仕方ないのですが、しかし、それを明確にしておかないと人生ごと棒に振る可能性だってあるのです
酒と水は同じ液体です。が、その違いとはなんでしょうか?と問うた時、ほぼ確実にそれは違うものだ、と言えるはずです
日本酒と水は同じように見えるが、はっきり違う。どう違うか?見てくれではなかなかわからない。つまり飲んでみる、即ち、やってみればわかる、のですが、それを文章でトライしようとしているのです。
しかし、なんとなく、違うのだな、ということがわかるはずです
そうゆうふうに、それがどう言ったもので、なんなのか?を明確にしないと、本質には到達し得ないのです。たとえ、それが嫌なものでも、好きなものでも、です。
では、如何なる違いがあるのか?説いてゆきませう
日常or非日常
武術とは相対する相手に対して暴力行為を働くものです。1対1、もしくは1対多数の【個人】の兵法です
兵法とは組織対組織の戦いです。この辺についても少し書いてる記事がありますので、またご参考に
じゃあ、ここでネックとなりますのが『格闘技』や『スポーツ』での『競技』となります
いや、一緒やん、というふうになりがちなのですが、そのために多くの武術を実践されてる方が、非常に苦しんでいらっしゃるのです
どう違うのか?それは
『エンターテイメント』とは違う
ということです。またさらに『日常か非日常か』です
格闘技などは『リング(舞台)』があって初めて形成・構成されます。さらにオーディエンス、ルール、レフェリーなどの第三者、それらがあって構成されます。ないと、全然楽しめないものとなります。だからこそド派手な演出もあって、ファン達は魅了されるのです。まさに非日常がそれをさせるのです
武術は強いていうなら『人生』が舞台です。普段、日常の生活に根付いてます。ファンもいなけりゃ、地味もいいとこ。何やってるかわからない人、誰も喜んではくれませんし、社会的に何か還元できるか?といえばできませんし、お金も稼げません。だから当然、ルールもなければ、審判云々も存在しません。
私は昔、テレビで、50歳くらいのボクサーの話を見てましたが、その方は素晴らしかった。何故その歳でまたリングに上がろうとしたのですか?の問いに、曇りなく
『ファンを楽しませたい、だから命を懸けて立つ』
原文ママとは言えませんが、このようなニュアンスでした。かっこよかったです。これを理解してるのか否かで全然違うものとなるでしょう。格闘技とかってこの心意気がすんごい大事だと思います
さて、ここまででも全然違うと思うのですが、さらにいきましょう。
武器、得物を使うかどうか
これならだいぶはっきりするでしょう。武術は基本的には武器から来ています。時代の変化に対応し、徐々に武器は携帯しやすいように小さくなり、徒手ともなりました。徒手でやってるように見えますが、実は武器を自在に扱えなければ、徒手など理解できません。
と、いうか、殺人の術なんだから、モノを持った方が、そりゃいいでしょう。刃物に限りません。使えるものは、石でもなんでも使います。その場合はとにかくぶん投げるのが大切です
格闘技などは武器など使えば、その時点でアウトです。退場どころの騒ぎではありません。
実は、武器の方が極めて簡潔で、洗練されており、深みがあります。徒手は複雑で難しい
なぜか?徒手はもの持たないからです。わからなくていい、やればわかる。
ん?まだその違いがはっきりしない?ではこれではどうですか?
間合いの違い
です。もっと言えば、間合いがあるかないか、と言えます
間合いとは紛れもなく、自分の間合い、相手の間合いです。これが、格闘技などの場合、すでに設定されています。武術にはない、なぜなら日常は変化し続けます。が、故に自分の間合いもずっと動いています。あるけど、ない、決められたフィールドは存在しない、ということです
つまり、武術においては、間合いの処理が大切となり、また、その前に自らの立ち位置も必要となります。
どうやってもぶつかりあう設定が格闘技で、つまり、間合いを処理する必要がない。武術は、間合い、空間を処理しながら繰り出すもの、と言えます。よーい…初め!!!とはならんのです。
この辺は、武術の本質的なところになりますので、また後ほどとします。
とにかく、変動する空間を如何に処理するか、そもそもそれがないか、と言えましょうか
え?まだ同じように見える?
それでは、これです
如何にやらずに済むか、どうか?
速やかに、如何にすぐに殺すか、あるいは切り抜けるか?が武術、格闘技で瞬殺って…どうだと思います?面白くないでしょう?
強すぎると、逆にひんしゅくを買うのがそれですが、いい例が朝青龍とかマイク・タイソンとかでしょうか?この方達は素晴らしく、武術的にも非常に学ぶところもあるのですが、オーでディエンスには、全くウケないのです。
うちの死んだ婆さんが言ってましたが『朝青龍は、憎たらしい、よいよ好かん!!💢』と言ってました。逆に、高見盛をみんな応援するのです
民衆大衆とは、こんなもんです。事実なのです。
武術が映画になると、尺があまりすぎて成り立ちません。だって戦わないんですから。キンキンカンカンしない、ということです。
してるやん!!カンフー映画とか、サムライ映画とか!
ってなると思いますが、それは『映画』です。どんだけ派手にするか、ということが盛り込まれています。刀を思いっきり叩き合わすようなこと、サムライの命である刀でやると思いますか?欠ければ折れるんですから、やるわけないのです。カンフー映画も『カンフー映画』というアクションの部類であって、武術ではありません。残念ながら。
面白くて酔拳なんかめっちゃみてしまいますが、アクションであって、武術とは違うのです
まだわからない?ではもう疲れたので…
接触を試みるか否か?
武術は、間合いを処理し、接触を試みます。つまり、接近し、接触し、密着します
斬るも突くも、得物だろうと、徒手だろうと、同じです。離れぬように、接触し、力を出して、威力を出します。つまり、引いたり、下がったり、退いたりしません。兎にも角にも、出ます。
格闘技などは接触しません。ぶつかって、しばきあいます。正面切っての体力勝負。だからラウンドというものも設けます。身体のデカさも重要です。だから皆んな、筋力トレーニングならびに、飯をとにかく食べる、などのことになるのです
武術にはそれはない。なぜなら、間合いがあれば、体格差などが関係ないからです。いくらデカくてやばくても、離れてれば、問題ないし、やりあわなければいい。間合い、空間を処理できることが極めて大切となります
それぞれの門派にその間合い処理から、接触する技法はあると思うのですが、なければ、あるいは知らない、では武術とは言えない。
つまり、人に接しに行くのと、同じように行くのです。それが殺しに行くかどうかの目的が違うだけなのです。好きな人と恋仲になるには?接近して、その思いを伝えてその後密着するでしょ?
実は武術はコミュニケーション、と簡単に言えばそう言えるのです。一瞬のことですが、その過程あるのです。この辺りも、また記述したいと思います
え???まだわからない??
それならもう…
一緒に練習しましょう!!やればわかる!そこが武術の骨頂とも言えます
理論がわからなくても、体現で示せられれば、それでいい。体現に理論がみえてきます。
考えてもわかりません。やってみること、実践することで、得るのです。
記事で書きますが、文章表現には限界というものがあります。文章でできるなら、皆んなできとるわい、という話です
と、いうことで、興味ある方ない方、連絡くださいね〜
それでは!!
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