いやぁ〜どうも、道楽男です
どっちつかず、とか、一番よく聴いたことありげな『どっちでもいいよ〜』ってやつ、男ならわかる女性からの『どっちの服が似合うかな?』という地雷の質問、他にもファミレスや居酒屋などでもなかなか決められずにいつまでも彷徨い、挙句時間だけが無常にも過ぎゆく、で、入ってもなかなかメニューが決まらない。
普段の買い物、情報、結婚や車や家、さらには人の生き死にまでも左右する役職に立つ方もいますが、皆同様に何が必要かわかりますかね?
そう、その通り『決断』です
ってか、これだけなんですわ、実はほとんど大切なことというのは
こんな人にいいかもしれません
- 優柔不断をどうにかしたい
- 今まさに悩み、迷ってしんどい人
- 服が決まらなくて、結局いつものお気に入りで出かけて服がちょっと臭い人
- 何にもすることがなくて、受動的なのがそろそろ嫌になってきた人
- スムーズにことを運びたいと思う人
・・・etc
決めないと、はっきり言って、何一つ変化も何もありません。動きすらありません。ただ悩んで時間を浪費するだけです
この辺は以前書いた『道楽の噺』でも書いております。参考までに・・・
え?成功?失敗?どうなるかわからないから考えてんだろ!だって?
そんなもんは『実践』の『後』の噺です。要は『果報』の噺。
わかるわけねーんです、ハナっから。
結果すなわち果報より、因縁すなわち『元とその過程』がとっても大事です
そんなんだと、スーパーで買いもんできないよ?世の母親たちは、血眼で安い食材を買い、さっさとメシをこさえて食わさないといけない崇高な使命を帯びています。
猛烈な勢いで狙っていますからね。おばちゃんたちの勢いに呑み込まれてしまいますよっ!
そもそも、悩む、迷うってなんでしょね?
大昔から今まで、永遠のテーマのようにも思いますが、これってつきぬことはないのかってくらい、特に職場などではもう見飽きたってくらい、みます
会議やって、会議やりすぎて、会議のための会議、なんてお粗末なことやってたりしますが、やってる当の本人たちはクソ真面目にやってるので、なんとも言えん感じです
情報はとにかく多ければいい、選択肢、幅は多く、差異を出す!とかで、結局処理しきれない、とかってのもありますね。
シンプルに作成した資料も『これだけ?文字量がないなぁ』とかって資料をつき返された、なんてアホな話も聞いたこともあります。いや、中身見てよ。
戦争でもそうです。人の命丸ごとかかっております。指揮官、下士官、分隊長、班長、などその長になるものは一気に責任と、命を背負います。戦場の戦禍は無常に変化します。常と同じです。当然敵も動けば、戦況も目まぐるしく変わります。ところがどっこい、止まってくれて、はいどうぞ、ってことはあるわけないわけです。都合のいい、ってのはないんです。都合はどうにかこうにか、良くしていくもんですから。
そんな時
『あ、やばい、どうしよう・・・どうしたらいいかな?』
ってやってる暇はありません。大昔の中国の将軍で、そんなことすれば『斬首』です。今で言うと『クビ』です
ちなみに兵法の本質は、お互いに闘いあい、おりゃーとぶつかりあう、ではない。これはのちのネタとします
身近にもたくさんあります、ってかどこにでもこの『魔』というのはあるわけです
冒頭書いたような、スーパーでの買い物とか。
『あれがいいかな、でもこれは安いけど・・・味どうなんだろ・・・あってもいいようなものだけど、なくてもいいなぁ・・・どうしよかなぁ・・・』
とか
初めての告白したいけど、その勇気もなく、なんとなく悶々としながら、結局後悔したまま過ごしてます、なんてのはドラマのみならず、リアル4次元空間でも盛大に繰り広げられていたり
時代劇劇中、あるいはドラマなどで見たことはなかろうか?
『殿、ご決断を!』
とか、
『指揮官殿!!ご命令を!!早く!!』とか
決断なしには動くことはできない証左です。朝起きて、ウ⚪︎コをするのも、今日やることも、この先やるであろうことも、人の生き死に背負い、部隊を運用するのも、同じことです。組織的であれば、なおさらことさら、しみじみわかるのではないでしょうか?
迷い悩みとは『決められない、決断してない状態』です。もっと言うと、何もしてない。実践してない、できない状態
これを『煩悩』といいまして。でも実は煩悩なくして決断はない。実は2つで1つなのであります
『煩悩即菩提』なんて仏教では云います。大切なんだけど、捨てないといけない、という感じです
処理できず、究極に達すると、自らを自らで絶ちます。そこまでいくわけです。だからさっさと断ち切りましょうってなわけ
迷い、煩悩を断つ!
断つ!とは太刀からきています。太刀祓う、とか太刀斬る、とは断ち切る、です
煩悩とはすなわち、決断することで菩提、すなわち悟りの道に入るわけです
仏教や宗教だと『帰依』するとか『信仰』とか云います
武術だと『拝師』『師事』『入門』でしょうか。
要は『家に入るのと同じ』です。門を叩いて入るでしょ?いいよ、って言われて門を開けて入る、それとなんら変わりません。それはなんだって変わりません。
その門を抜けることがまず持って重要なんですね。
とはいえ、一番大切なことは『実践』。これなくて変化なし。要は、やらにゃ始まりもせんわい、と
しかし、その迷いをも払いのけ、断ち切るのは、実際に門を叩くことです。アクセスすること。実はそれたった一つ。心意気の頂点ともいえるのではなかろうか。
欲は、欲で断ち切る。欲を断ち切るのは、その欲で決断することで、仏陀斬れる、と言うわけです
やらねば煩悩はどんどん増えるのみ。余計に重い枷を自分で増やしまくることになります。鐘を一万回しばき上げても消えることはない。
即ち、心意気ってのは、とてつもなくすごいことなんですよ。勇気、胆力、精神、そうゆうのってとんでもなくすげえことなんです。みんな実はあるんですよ、それって。
命を捨てて、見ず知らずの人を助ける人だっています。昔は、主君が死んだら一緒に死ぬ家臣もいた、忠誠を守り抜き、名誉に命を平気で捧げる人もいたわけです。今も昔も、そんな侍、武士はいます
いつやるの?今でしょ!!
って林先生がおっしゃってましたね。今はなんかネプリーグとかのレギュラーになってますね。たまに漢字間違えるんですけど、そこにまた味があるというか。まぁ置いといて。
で、この今でしょ!ってのはすんごく大切です。なぜかって、今があるから未来も過去もあるんです。
で、決断実践できるのって『今』しかないんですよ。流れる時の中で、今、今、今・・・と決断と実践を繰り返しながら、学んだり、何かを表現したり、笑ったり、泣いたり、💩したりしているわけです
今茲、と言うのは、中間にあります。絶妙、神妙なんです、この今というのは。
ここでまた、甲本ヒロト氏
『明日のために今日がある、じゃねぇ、今日のための今日です』
要は、先送りすんな、今やれるなら、今やれ、ってことです。明日やろうは馬鹿野郎ってやつです。
もっと言うと、明日死んで後悔しながら死ぬより、やってよかったと言って明日死ぬほうがよっぽど幸せ。後悔って辛い。やっときゃよかったってのはけっこう取り返しつかないことのが多い。
決断を揺るがす要因
例えば『恥』。恥じてしまうと、どうしても一歩出遅れる。だって恥ずかしいもの。
でも恥だって同じです、かかなきゃ恥って分かりません。恥を知らずに恥って言ってんのがもはや恥です。
孟子の言葉に『惻隠の心は仁の初めなり』とあります。要は恥だな、って思うことって、仁、即ち思いやる優しい心の始まりだ、って言ってます
恥を知るから、他人やあるいは動物でも、優しく柔らかく接し、助け合い、繋がり、縁となるわけです。
メンタルが強い、って人って恥知らずな人が多いんですよ。実は。厚顔無恥ってそうゆうことです。まぁけっこうまずい。上司なんかにつくと、まぁ部下は大変苦労します。強いんではなくて、勘違いしてるだけ。というか、知らんだけ。
強弱あって、強弱なんてないのが、真のメンタルです。自由自在です。
恥の他にもありますよ。失敗成功をやたら気にするとか、恐れ、不安、とか。
それってやんなきゃわかるはずのないことです。恐れ、不安はやった瞬間に綺麗さっぱりぶっ飛びます。その程度のくだらないものです。ああだこうだ言うのは全てひっくるめて『言い訳』口だけ。
仏教には、『身口意』と言う教えがあります。要は全て一致させよ、と言うことです。要はこれどうなるかって言うと、実践です。有言実行とはちと違う。言ってからやるのとは違う。
まぁまとめると『勇気を以て実践あるのみ』やってみりゃわかる。
克己とは己を殺して己に勝つこと
『一番の敵は自分の中にあるんだよ!?』とかってスポ根系の漫画、アニメ、ドラマなどで見飽きた表現です。なんだか泥臭くて、体育会系って感じで、汗臭い匂いすらしてきそうです。でもスーパーロボット系のアニメだと、こうゆうことを聴いたら、めちゃくちゃ熱くなるのは、熱き血潮が騒ぐ、男の性なのでしょうか。
しかしながら、これは柳生新陰流の柳生宗矩が『兵法家伝書』にて『己に克つこと』と書いております
実は、敵なんて存在しません。生まれた時にそんなんいましたか?なんもなかったでしょう。自分で作り出してるんです。作るとそりゃあらわれます。見てる世界って幻影です。
あらゆる『魔』なるものを殺し尽くすことが大切です。例えば、敵とは敵だと思う自分が敵と見做しているだけの話です。相手にしなきゃいい。
と、思っても敵だと言うのは、囚われです。まさにその人に首っ丈、ってなわけ。
だから、克己。克とは殺す、ということ。己に湧いてくる、煩わしさとの戦いです
早い話が、己が観る幻影をいかに消し去るか、ともいえる。無理ならとりあえず、雄叫びでもなんでも、吐き出してしまえ。
日本の兵法家の話
例えば、日本剣術の話だと分かりやすい。真剣勝負とはまさにこれ。真剣は私も持っていますが、抜くだけで大抵の人って『引き』ます。めっちゃ怖いのです。それを自由自在に振り回すのって、けっこうな修行が必要です。実際、自分で振り回して、自分の腕や耳を斬り落とした人もいると聴きます。これがまた、刃筋がきちんと通ってたから、綺麗に斬れたというなんとも言えない感じになったとか。
それが、殺意と共に合わさって、突っ込んできます。その時どうでしょうか?落ち着いて、ニコニコできるでしょうか?
簡単にいうと、ビビったら、命落とす、のです。白刃に心奪われたら、命を奪われるのです。でも、それをやっていたわけです。では、どうするのか?
ただ一つ『勇のこと』と柳生宗矩は書き遺しています。
あぁ、怖い、やばい、どうしよう、動けない・・・ということを、蹴散らすのです
現代はそのようなことはほとんどありませんが、しかし、それに似た状況ってけっこうあります。
昔の人は、特に侍や、剣術家、武術家というのは、命を守るのではなく、とうに『捨てていた』わけですね。ものすごいことです。向かっていくのです。
腹を決めるとか、覚悟ってこうゆうことです。それが真の決断力とも言えます。
将棋の話でもあります。有名な『羽生竜王』の話です。ってか、今竜王だったっけ?
捨てる力と決断力、大局観、という本を出していますが、非常におもろいのです
とんでもないくらいの手数をとんでもないスピードでシュミレーションするそうです。でも結局、捨てて、決断しないといけない。結局、考えて出ることより、これだ!と感じて出した手が極めてよかったりすることが多いそうです。うん千と手を考察し、出したものはあれ?となって負けて、しかし、ええい!ままよ!と出したら、すんなり勝ったこともある、と
大局から、小さく絞って、決断に至る。全く同じことなんです。決断とは捨てることでもあります。大きなものを小さくしていくってとても大切です
要は、将棋でも、命を懸けた戦いでも、朝起きてウソコをするのも、同じ、決断。普段の日常も実は全く同じ
簡単でしょ?やってんだから。でも自覚がないから分かりもしない。これってもったいなくね?って話なんです。気づけば、ずっと楽になるんですけどねぇ。
どうやればいいのか?
ってなるんですが、そんなもんはありません。
武術にはある!と言いたいが、それってなんでも同じですが、自覚の問題です
強いて言えば、己で実践してはまた気づき、それをどうしたらいいのか、またそれをやる、その繰り返しです。PDCAサイクルとか、なんとかホイールとか、とにかく回すのです
とにかく回しまくることです。トライアンドエラーとか、洞察力とか言いますが、要は、回せってこと。
でも回転させまくっても回転したままでは仕方ない。
誰も教えようはありません。だから、実践というわけ。恥かこうが何しようが。具体的に教えてください、とか、どうしたらいいんですか?って実はタブーです。
哲学や宗教や、ここでいう道楽、というのがないと、ちと厳しい。まぁまたこの辺もまたネタとして扱います。
あと、幸せってのも決めることです。これもまたおいおい。
コメント、お問い合わせなど
どしどし、おねがいします
ってかここまで見てくれてありがとうございます。
文句でもなんでもください。皆が師匠です。ご指導ご鞭撻お願い致します。まだまだ文章表現の初期の初期ですので。
ではまたお越しください。
それでは〜
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